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開発物語

今は亡き父の教え

創生水を開発するきっかけは私の父にありました。
父、深井正人からは、仏教の教えを中心に、たくさんのことを学びました。しかし、その意味を深く知ったのは、大人になってからのことです。若いころは、「口うるさい父だな」思ったこともありました。

今も、忘れられない思い出があります。
ある日父は、分解された自動車のキャブレターを指さして、「これを元に戻せ」と私に命じました。私が「そんなことできるはずがないだろう。そんなことは、修理屋に頼めばいいことだ。」と反抗したら、「もともと人間が作ったものだ、人間に直せないはずがない」と、どうしても直すようにと言うのです。

私は、どうして直したらいいのか見当もつかず、途方にくれましたが、有無をいわさない父の態度に、本当に自分でやらなくてはならないのだと覚悟しました。そして、泣きながら懸命に組み立てに没頭しました。その間、家にも入れてもらえず、結局、三昼夜かかったのですが、このとき私は、「やってやれないことはない」ということを学びました。

そんな厳しい父でしたが、町の人からはとても尊敬されていました。父は、家畜業もしており、牛乳がとれると、まず警察官や郵便局員・駅員に配ってくるように私に言いつけました。なぜ、そんなことをするのかと聞くと「町のために働いている人たちだ。その人たちにお礼をするのは当たり前だ」と教えられました。

父は何かあるたび「自分の畑に水を引くな、人の畑に水を引け」と、私に言い聞かせました。自分のことを考えるな。自分は人に助けられて生きている。そして自分も人を助けるために生きなさい。助け合うことが大切なんだ。と、教えたかったのでしょう。創生水を作るきっかけになったのも、そんな教えの中にありました。

一緒に川に出かけたときのことです。父は私にいつものように自然と人間の関係について、「いいか利春、自然と人間は一体だ。川を汚せば人間の血液が汚れ、必ず人間は病気になる。だから川を汚してはいけない。」と、話してくれました。私は、その時はまだ、その意味を理解していませんでした。この言葉の意味を本当に理解したのは父が亡くなってからのことです。

余命半年

「ちょっと、横腹をもんでくれないか?」
ある日を境に、父はしょっちゅう横腹の痛みを訴えるようになりました。私はことあるごとにマッサージを施しましたが、だんだん手におえなくなり、医師に見てもらうことにしました。診察の結果、ただの胆石だとわかり、手術をすることになったのです。簡単な手術だということだったので、心配はしていませんでした。

しかし、ことは思いのほか深刻だったのです。私は、手術中に医師に手術室に呼ばれ、次のように宣告されました。「胆石は取り除いたのですが、すい臓の動脈に癌が絡んでいます。癌を取れば動脈を切ってしまい、死んでしまいます。残念ですがこのまま閉じます」そして、余命半年と告げられたのです。父には一切の告知はしませんでした。

それからの半年間は、私の人生で最もつらいものでした。治したい一心で、私は父にわからないように、癌に効くといわれるものを、こっそり料理にしのばせるなど、ありとあらゆる手を尽くしました。しかし、父の容態はいっこうに良くなりませんでした。

それからというもの、父は、会社の図面や取引先のこと資産のことなど、こまごましたことを私に教えるようになりました。父は悟っていたのでしょう。 自分の命が残りわずかということを。 お互いの気持ちが分かっていながら口に出せないつらさに、涙をこらえながら、話を聞きました。

半年後。医者の宣告どおり、父は亡くなりました。なぜ、どうして、あんなに人のために尽くしていた父が、こんなに早く死ななければならないのかと納得が出来ずにいました。いっしょに仕事をした工場で、夜中に一人で声を出して泣いたこともありました。

事業の成功の影

経営していたレストラン『COMON』のスタッフ達と私

父が亡くなってからは、がむしゃらに働きました。
父が生前に一緒にオープンしたレストランが流行り、その波に乗ってホテルをオープン。そのホテルも大当たりし、すぐにもう一件建てるほどでした。父のいない虚しさを埋めるために、がむしゃらに働きました。そして稼いだお金を持って、一人で銀座に遊びに出かけ、三日間で約一千万円使ったこともありました。そんな日を重ね、父がいない虚しさと悲しさを忘れつつある中、その事業を全て手放す日が来るのです。

全事業を手放した日

私は、父と農業でもしながら暮らすこと夢だったので、なにか栽培できないものかと以前から考えていました。ただ人と同じことをするのは嫌なので、変わったものを作りたいと考えていました。そんなある日、テレビで南国のフルーツ『ババコウ』を栽培する実験をしているというニュースを見ました。これはおもしろそうだと思い、私も実験している下田農生部の方に会いに行き、長野で出来ないかと相談しました。

農生部の方は「長野は寒くて、南国のフルーツは栽培できない」と言われました。私は、「できない」と言われれば、燃える人間なので、「よし、長野で作ろうと」決心しました。それから、ビニールハウスを建て、実際にババコウを栽培し始めたのです。 栽培を始めたところ、これが大成功をし、テレビ、新聞に取り上げられるようになりました。

掲載された新聞
育成に成功したババコウ

そんなとき、ふと、自分のホテルの排水を活用して栽培できないかだろうかと思いつきました。ところが、いざ排水を引っ張ったところ、排水には、洗剤が混ざっており、泡だらけで使えるものではありませんでした。 胸騒ぎがして、私が経営するホテル・レストランのすぐ下を流れる千曲川へ行ったところ、人生を変えるショッキングなものを目にしたのです。川に洗剤の泡が浮かんでいたのです。それは、紛れもなく私のレストラン・ホテルから流れてきているものでした。

私が子供のころに遊んだ千曲川とは、全く様子が違う。私の知る千曲川が、工場の建設のために埋め立てられ、コンクリートで固められ、そして洗剤や工場排水が流れてきます。もう、昔のように川遊びできる状態ではなくなっていました。そういえば、最近は子どもたちが川で遊ぶ声を聞いていない。ホタルをみなくなった。ミミズも、ザリガニも。おたまじゃくしも見ていない。自分が子供のときとは、環境がぜんぜん違う。そのとき、亡き父の言葉を思い出したのです。「いいか利春、自然と人間は一体だ。川を汚せば人間の血液が汚れ、必ず人間は病気になる。だから川を汚してはいけない」

その時、私は直感しました。
「今、流れている洗剤は必ず私たちに帰ってくる」と。父が言っていた言葉の意味をそのとき初めて心から理解しました。川が汚れたら、当然のことながら、人間が飲む水が汚れる。それなのに、水を汚すもとになっている洗剤を、人間は毎日使っている。それは、自分の身体(地球)を汚していることになる。

水を汚せば、必ず人間は、いろんな病気になる。ちょうど、アトピー性皮膚炎やアレルギーという言葉を耳にするようになった時でした。「きっと、これらの病気の犯人は洗剤に間違いない。もう、洗剤を流した罪が返ってきているんだ。このままでは、もっと同じような病気で苦しむ人たちが出てくるに違いない。」

変わり果てた千曲川を見て私は、そのことに気づきました。この事実を知ったことは、何か意味があるのだと感じました。しかし、私にどうすることもできません。なのに、そのことが頭から離れないのです。その夜は、悩んで眠ることができませんでした。そんな悩みが頭から離れずに、三年間近く悩み続けました。

そんな、ある晩のことです。
なかなか寝つけないので、外に出て月を眺めていました。月を眺めながら、私は自問自答を始めました。 「川を汚せば、血液が汚れるはず。血液が汚れた病気になる。原因は洗剤にある。洗剤をなくさないと人類が皆病気になる。でも、いったい自分に何ができるだろう」そんな問答が何時間も続きました。そして、1つの答えにたどり着いたのです。

「魂を開放しよう」

「魂を開放して、自分の良心の思うままに生きよう。きっとこのまま人生を送っても後悔する。必ず後悔する。そして子どもたちが住めない地球になってしまう。何もしないで後悔するより、何か行動を起こして後悔したほうがいい。やってやれないことはない」。 そして、翌日会社を解散することを社員に伝えました。

エコとエゴは紙一重

会社の清算に数ヶ月かかりましたが、清算を終わってみると、1億3千万円ほど手元に残りました。

恥ずかしい話ですが、このお金を見たときに、農業をしながら家族とゆっくり暮らそうかとも考えました。しかし、息子の持っていた風船が割れたのを見たときに、「ああ、地球がだめになれば、どこにいても逃げられないんだな」と、邪念を捨てました。それから、私の洗剤への挑戦の日が始まったのです。

まずは『敵を知らなければいけない』と思い、洗剤の毒性を調べ始めました。科学者でもないので、詳しい分析はできませんが、洗剤の恐怖はすぐに理解できました。

水槽の中に魚を入れて、洗剤をたらすと、魚は、ものすごい勢いで暴れだし、必死に逃げようとします。水槽から飛び出してしまいそうな勢いです。そして、三分もしないうちにおとなしくなり、死んでしまいます。「なんて、恐ろしいものを使っているのだろう。なんて、恐ろしいものを売っているのだろう」と思いました。それと同時に、怒りがこみ上げ、必ず洗剤をなくしてやると決意しました。

実は私も、実際に洗剤を飲んでみたことがあります。すぐに青ざめて救急車に運ばれました。その後は、研究のかたわら、合成洗剤追放運動などに参加しました。しかし、長くは続きませんでした。それは、反対運動はエゴ運動であるということに気づいたからです。

ある日、原子力反対運動をしている人を見たときでした。原子力追放運動をしている人も、家に帰れば、電気をつけて、冷蔵庫の中の冷たいビールを飲みながらテレビを見る。原子力の恩恵を受けながら、原子力反対運動はおかしいと思ったのです。

反対するのであれば、原子力のエネルギーは使うべきではありません。ろうそくの生活をすべきなのです。それができなければ、違うエネルギーで生活するべきなのです。代替技術や商品のない反対運動はただのエゴだと気づきました。エコ運動をしているつもりでも、エゴ運動になってしまっているのです。

反対するのは簡単です。誰でもできます。しかし、それでは何の解決にもならないのです。それに代わる “なにか”を提示しなければ、無責任なのです。百のことを訴えるより一つの行動のほうが大切なのです。私は、反対運動ではなく、洗剤に代わる「なにか」を開発しようと決めました。身体に害がなく、川に流しても魚が死なないものを。この決断が、長くそして険しい研究へと進むことになったのです。

「いくら薄めても、毒は毒なんだよ……」

洗剤にかわるものを開発しよう。といっても、私は、高校しか出ていなかったので、何かを開発できるような人間ではありません。そのため、ありとあらゆる本を読みあさりました。また、いろんな大学の教授の方たちに電話をし、アドバイスを受けながら、研究しました。

そしてたどり着いたのは、石けんを二百倍に薄めた液体が出てくるシャワー機でした。ただ二百倍に薄めるのでは洗浄力がなくなってしまいますが、軟水だと二百倍に薄めても洗浄力は落ちません。

私は、これなら安全で川も汚さないと思い、大金を払って、商品化をしました。スーパーシャワープロと名づけました。そしてこのことを、いろんなアドバイスをしてくださった西岡一教授にお礼を兼ねてご報告の電話をしました。

しかし、教授の口からでてきたのは、意外な言葉でした。
「深井君ね。いくら薄めても、毒は毒なんだよ」

目が覚めるような一言でした。
確かにそのとおりでした。

毒を薄めたからといって、毒でなくなるわけがない。私は大変な過ちを起こすところでした。急きょこのスーパーシャワープロの販売をやめました。今までの苦労は水の泡になってしまうが、誤った道に行かなくって良かった。人生を左右するひとことだと感謝しました。そしてひとつ、私が安全と認める定義を決めたのです。「口に入れても安全なもの」つまり「食べられるもの・飲めるもの」

口に入れても大丈夫なものでなければいけない。同じ細胞でできているのだから、口に入れられないものは、身体に塗っていいわけがない。まして、川に流していいはずがない。ごまかしではなく、本物の洗剤に代わるものを作ろうと決めました。そして、私が着目したのは水でした。 水には、洗浄力があるのでは? そんな疑問がよぎったのです。

洗剤がない時代があったのだから、洗剤ができるまでは、水だけで洗っていたはずだ。おばあさんに話を聞くと「昔は炭で衣類を洗っていたよ」その前は?と尋ねると「その前は水だけで洗っておった」と教えてくれました。昔話でも「おばあさんは、川に洗濯に……」でも、洗剤を持っていったという話は聞いてないぞ!これは、水で洗えるかもしれない! これだ!!と直感しました。それから、私は水の研究を行うようになりました。

お金がない・・・

水の研究に入ろうと思った矢先、私はあることに気づきました。その時、すでにスーパーシャワープロの研究・開発と製造で一億三千万円は使い果たしていたのでした。お金がなければ研究はできません。

私は成功していた事業を突然辞めたので「気が狂った」「夜逃げした」などと言われており、信用なんてありません。親戚にも頭がおかしくなったといわれていたほどです。たしかに、80年代から「洗剤をなくす」「水で汚れが落ちるようになる」などといっていれば、気が狂ったとおもわれても仕方がありません。ましてや、それまで事業で成功していたのですからなおさらです。

そんな中にも、捨てる神がいれば、拾う神もいます。私にお金を貸してくれるという友人がいたのです。北沢という昔からの友人で、小さな不動産会社を経営していました。お金を貸してほしいというと、何もいわずに貸してくれるのです。 その理由を話してくれたことがありました。「俺はね。社長の夢を買っているんだよ。いつか社長の会社が大きくなって自社ビルを建てるときは俺にいいな。俺はね社長の自社ビルを建てるのが夢なんだよ」と、言ってくれました。

友人、北沢からの借用書の数々

彼から借りたお金は、絶対に返さなければと、全て借用書を書きました。今でも、その借用書は記念にとってあります。彼は四千万円ものお金を私に投資してくれたのです。世の中は、バブル経済で浮わついていました。私は、研究所でひとり黙々と研究をしている。そんな私に文句ひとつ言わず、四千万円ものお金を貸すのは、簡単なことではなかったはず。本当に感謝です。 彼のお陰で、私は研究に没頭することができました。

開発された洗浄太郎

洗浄太郎

ついに完成。洗剤がいらない水!が、しかし・・・。研究を続けていくと、トルマリンという電気石が水のクラスターを小さくするということを知りました。実験してみると、たしかに洗剤が半分でも汚れが落ちるようになるのです。しかし、使い続けていると、トルマリンに不純物がつき使えなくなってしまいます。

この不純物は、ミネラルだとわかり、スーパーシャワープロで使っていた軟水器を使えば、長持ちすることに気づいたのです。そこで、軟水器とトルマリンを使ったところ、洗浄力が上がったのでした。

スーパーシャワープロの経験は無駄にはなりませんでした。しかし、まだ洗剤の洗浄力には及ばずにいました。もっと、トルマリンの力を引き出すことができれば、洗浄力が上がるはずだと思い、電気石の研究に没頭しました。そんなある日、いつものように実験をしていたときのことでした。

トルマリンの入った水槽に一円玉をたまたま落としたのをきっかけに、電極の針が、思いっきり振れたのでした。「これは!!」と思い、もう一度、一円玉を入れたところ同じ結果になったのです。アルミでトルマリンの力を引き出せることを発見したのです。

それから、世の中にあるいろんな種類のアルミを取り寄せて研究しました。アルミの厚さや長さ、また形によって電極が違うことに気づき、効果的な形状を探るために、何百回、何万回と数え切れないほど実験を重ねました。そして、半年かけて洗剤と同等の洗浄力を持つ水が完成したのでした。飲めて、洗える水を開発した瞬間でした。

長年の夢が実現した瞬間でした。 
「洗浄太郎」と名づけました。

それから、私は洗浄太郎を五十台ほど販売して、借金の返済にあてました。会社にも従業員を雇い、ようやく波に乗ろうとしていたときのことです。お客様から一本の電話が入りました。電話の内容は「洗える水を飲んでもいいのですか?」という質問でした。

私は、洗える水だから、飲めないのではないかと心配しているのだと思い、大丈夫だということを伝えました。しかし、どうやらお客様の質問の意図は少し違うようです。 「飲んで、健康にも良いのか?」という趣旨の質問でした。

正直なところ、健康によい水を作ろうとしたわけではなかったので、私は困りました。そもそも、人間の健康ではなく地球の健康のためにつくり、地球を健康にすれば人間も安全でよい水が飲めるようになるということで、この洗浄太郎を開発したのです。ちょうどそのころは、水道水の塩素の問題などで、浄水器がはやり始めた時期でした。水に関心を持つ消費者が増えてきたのです。

ただ「洗える水」というだけでは、消費者は関心を示さない。飲めて身体にも良い水を造らなければならないということに気づきました。このときの電話で、洗浄太郎の販売を続けるのを止めようと決断したのです。それから、私は飲んでも健康に良い水の開発に挑みました。

ついに完成、飲めて洗える水、創生水!

いつものように新聞を読んでいると、ひとつの記事が目に飛び込んできました。それは、黒曜石が縄文時代に大量に使われ、いったい何に使ったのかがわからない、というものでした。
※黒曜石とは、縄文時代に矢じりや包丁などに使われていた石です

その記事を見て、学生のときにパーライト(黒曜石を高温で焼いたもの)の会社でアルバイトをしていたときに聞いた話を思い出しました。黒曜石は水がめの中に入れておくと水が腐らない」と、言っていたのです。

私は、古代の民族が数ある石の中から黒曜石を使っていたのには、何かわけがあるはずだ!と直感しました。

早速、黒曜石を取り寄せました。そして、黒曜石を水につけたところ水に変化が見られたのです。水の鮮度を示す酸化還元電位が下がったのです。酸化還元電位が下がるということは、水の鮮度が増してゆくということです。つまり、水質が良くなっていくのです。

「これで、洗えるだけじゃなくって、身体にもよい水になる」と確信しました。これを、洗浄太郎に取りつけたところ、水が還元するだけでなく、洗浄力も増したのです。うれしい発見でした。洗剤を使わず、飲んでも健康によい水が完成したのです。そして「洗浄太郎」から「創生水」と名前を変えました。ついに、洗剤を必要としないライフスタイルを送ることが実現するようになった瞬間です。

創生水生成器M-21G(洗浄活性軟水生成器)

汚れた千曲川を見てから、約十年の年月が流れていました。十年間かけて、やっと洗剤を必要としない水、創生水が生まれたのでした。

きれいな水が流れる川に戻したい。そのためには、川を汚さない方法を生み出さなければ。そして、その方法は、私が守ろうとしていた水にあったのです。父が私にうるさいほど小言を言わなければこんなふうにはしていなかったでしょう。その教えのおかげで創生水が生まれたのです。

私は、父を尊敬しています。亡くなってからも、その気持ちは膨らむばかりです。父がいたからこそ、創生水が生まれたのだと思っています。「いいか利春、自然と人間は一体だ。川を汚せば人間の血液が汚れ、必ず人間は病気になる。だから川を汚してはいけない」。この言葉どおり、環境を汚してきた分、病気は増えました。誰もが、川の汚れと病気が関係しているとは思っていません。しかし、めぐりめぐって私たちの身体をおびやかしているのです。

地球に住む人間が、地球を汚して健康でいられるわけがありません。地球をきれいにすることが、めぐりめぐって自身の健康になるのです。水だけではありません。空気や食などたくさんのものが汚染されています。そのすべてが、自分たちの身体を侵し、病気に繋がることでしょう。

創生水は今・・・

2020年月現在、1,800世帯を超える家庭やお店に導入されています。一般家庭からは、洗剤類がいっさい家庭内から消え、流れる排水には洗剤が混ざっていません。台所にも、お風呂場にも、洗面所にも、洗剤がないのです。

洗剤のない生活は、シンプルで快適で、地球を汚さない。地球にきれいな水をお返しして生活ができます。洗えば洗うほど、流せば流すほど、未来にきれいな水を提供することができるのです。

美容室では、創生水だけで、お客様の髪を洗っています。美容師の二人に一人は手荒れで苦しみます。シャンプーを毎日、何人も何十人もするわけですから当然です。それが創生水に代わることで、手荒れの苦しみから解放され、毎日笑顔でお客様の髪を洗髪できています。それは、お客様の髪をきれいにするだけでなく、地球もきれいにする美容室なのです。

コインランドリーでは、洗剤を使わず水だけで洗濯をしています。水だけで洗っているのにも関わらず、衣類からは泡が……。それは、残留していた洗剤が泡になって出てくるのです。洗剤が全くついていない衣類は、本当に自然な着心地です。服を着たときの感触がよくなると驚かれるようです。水で洗うコインランドリーは、衣類だけでなく地球もきれいに洗ってくれるのです。

クリーニングでは、ドライ溶剤で洗うのが常識の中、水だけで洗うクリーニング店を生みました。 ドライ溶剤を使っているクリーニング店はものすごいにおいがします。ドライの臭いです。健康に良いとはいえません。水だけのクリーニング店は、そんな臭いはありません。新鮮な空気の中で、気持ちよく仕事をしています。水のクリーニングは、衣類と空気をきれいにするだけでなく、地球の汚れもいっしょに落としてくれます。そのほかにも、飲食店や温泉や農業や病院など、多くの施設やお店に創生水生成器がつけられています。まだまだ小さな結果ですが、その和が確実に力強く広まっていっています。

洗剤を使わない生活が健康への道

洗剤にはたくさんの有害な物質が含まれてたものが多数あります。それは知らず知らずに多くの病気を引き起こしています。

戦後になって洗剤や化粧品といった化学物質が日本に入ってくるようになってから癌等の病気が増え、今では二人に一人が癌で亡くなります。それだけ危険な化学物質を私たちは日ごろから使用しているのです。そのような危険な物質の使用を止めるだけで体調が変わってしまうのです。

実際に洗剤の使用をやめてから健康を取り戻した方はたくさんいます。私の会社には、毎日のようにお客様から体験談や感謝の手紙が届きます。そのような手紙を見るのが、私にとって、とても嬉しいひとときです。

洗剤のない生活が、どれだけ病気の予防につながり、健康を手に入れることができるか、それは、体験した人にしかわかりません。タバコを吸っている人は、タバコのにおいに鈍感ですが、タバコを吸わない人には、タバコの臭いには敏感です。それと同じに一度洗剤のない生活をしてしまうと、もう洗剤を使う生活には戻れません。スーパーなどの洗剤コーナーを歩くと洗剤の臭いで気分が悪くなってしまいます。そのとき初めて気づくのです。

世の中には、健康に良いとされるいろいろな食べ物や飲み物があります。たしかに健康に良いのでしょう。しかし私は言いたいのです。「健康に良いものもいいけど、それよりも健康に悪いものをやめましょう」と。これだけたくさんの健康に良いとされる物が溢れているのに病人の数は減るどころかふえるいっぽうです。それは、健康に悪い行いをしているほかにならないのです。病気になりたくない、病気を治したいのであれば、まず病気の原因を絶つことです。

地球を汚しながら生活していて、人類だけ健康でいられるわけがありません。それが、自然の摂理なのです。

自然からのメッセージ

日本には昔から、「この話は、水に流そう」という、表現があります。これまで、私のお話を聞いてくださった方は、もうお分かりだと思いますが、水に流したものは自分に帰ってきます。だから、この表現は誤りです。自然とは循環です。いつからか、人は自然への感謝の気持ちを忘れてしまいました。

昔、祭りは自然に感謝する儀式として行われていました。最近は、「いただきます」と言える大人や子供が少なくなってきています。「いただきます」「ご馳走様」というのは、作り手に対してだけではなく、命に対していう言葉です。また、どんな宗教でもお供え物に水を用意します。このように、日本には古くから自然に感謝をする文化が根づいていました。

漢字にも多くのヒントがあります。
「源」という漢字があります。さんずいへんがあるのは、水は全てをつかさどるもの(源)という意味があるからです。「治す」という漢字は、「水を黙って口にする」と書きます。このように、水には大きなエネルギーが秘められているのが分かります。また、漢字は人間と自然との関わり合いも記しています。「海」という漢字は「水は人の母」と指しているように見えます。水を汚すことは、生命の母を汚すことになります。そして、「洗う」という字は「水が先」と書きます。「洗う」ためには、水が一番大切だと教えています。

最後に、「冒涜」という漢字を紹介しましょう。「冒涜」の「涜」は、「水を売り買いすること」。生命である水を売り買いするようになる時代は、感謝を忘れ神や仏に唾を吐く行為をする時代になっている。という意味に解釈できます。まさに、今の世界を言い当てています。人は自ら生命の「源で」あり、生命の「母」である水を汚し、生命は活力をなくしました。そして、まだ汚れていない水を売り買いするようになりました。この行いを冒涜というのです。水を汚した罰として人類は病気を招きました。

この悪循環をなくすには、水の汚染を止め、きれいな水を川に、海に返すことです。そうなれば、生命に活力が戻り、多くの病気がなくなります。地球から与えられたきれいな水をきれいにしてお返しするのが、生命のサイクルなのです。生命は循環です。自然とは循環なのです。

「自分の畑に水を引くな、人の畑に水を引け」と父は言いました。 水を引くというのは、自分のことより、周りのことを大切にしろ。そうすれば、自分に返ってくる、という教えです。まさに、循環を教えてくれています。

比喩で「水」が出てきているのも、ただの偶然ではなかったのでしょう。自分の周りだけ考えた結果、自然を汚し地球を汚し、水を汚してしまったのです。この教えは、全人類が必要のように思えます。

終わりに・・・

思い出してみてください。
子どものころ、行くさきざきで、たくさんの自然に会うことができました。畑仕事を手伝っていたときは、よくミミズやモグラを目にしたものです。田んぼに行けば、小さいおたまじゃくしやタニシがおり、時にはザリガニを捕まえたりもしました。

春には、菜の花が咲き、色さまざまな蝶が、仲良く春を待ちわびていたかのように飛びまわっていましたね。そこに吹いてくる、まだ少し冬の冷たさがある中に、太陽の暖かさを含んだ心地よい春風。いっしょに春の匂いも運んできてくれました。夏に近づくにつれ、青空の下ひばりの鳴き声が「チュチュチュチュチュ」とあたり一面に響き渡りました。

夏には、「ミーン、ミーン」うるさいほど聞こえてくるセミの鳴き声。それを聞きながらスイカを食べたりしました。学校の帰り道に、風に乗ってくるトマトの香り。雨上がりには、思いっきり吸い込みたくなる新鮮な草の匂い。カタツムリも顔を出してきました。夜になれば、たくさんのホタルが舞い、時間が止まってしまうような美しい幻想的な輝きを見せてくれました。

秋には、一面黄金色の稲穂が風に揺れ、赤トンボが群れをなして飛び、ふと目を向けると太陽が空を一面に赤く染め沈んでゆく・・・。あのときの、夕日は今でも思い出せます。

あのころ見た景色を、最近見ましたか?
あのころ嗅いだ匂いを、最近嗅ぎましたか?
あのころ聞いた虫の鳴き声を、最近聞きましたか?

当たり前だったことが、今は当たり前に見ることができません。それだけ環境は変わってしまっているのです。今、日本が失っている大切なものが自然の中にあるのではないでしょうか? 

私が伝えたいことは、自然と人間との密接な関わりです。健康だけを求めていても本当の健康は手に入りません。病気の原因、地球を汚す原因となるものを使用している限り、本当の健康は手に入らないのです。

「水の惑星 地球」
水があったから生物は栄えました。その水は人類にも動物にも植物にも大切な資源です。ぜひ、この美しい星を守っていきましょう。

これから生まれてくる子供たちが、川で遊べるように。